レーガン大統領の死因は?功績や名言ジョークについてまとめ

ロナルド・レーガンは、ラジオアナウンサーやハリウッド俳優など異色の経歴を持つ第40代アメリカ大統領でした。

2022年10月12日に放送の「ワールド極限ミステリー(TBS系)」で、レーガン大統領の銃撃事件(1981年)が取り上げられていましたよね。

この銃撃で驚異的な回復を見せたレーガン大統領は、大統領として様々な功績をあげています。

そして政界を引退したあと、2004年に93歳で死去しましたが死因は何だったのでしょうか。

レーガン大統領が亡くなった理由や、大統領としてあげた功績、名言などについて調査しました。

この記事を読まれている方はこのような疑問をお持ちではないでしょうか。

レーガン大統領はどんな功績をあげた?
レーガン大統領の死因は何?

この記事を読むことで以下のことがわかります
  • レーガン大統領の功績
  • レーガン大統領の名言やジョーク集
  • レーガン大統領が亡くなった理由
目次

歴代アメリカ大統領レーガン大統領の功績

1981年に第40代アメリカ大統領に就任したロナルド・レーガンは、当時歴代最高齢の69歳でした。

第40代アメリカ大統領
【名前】
ロナルド・ウィルソン・レーガン
(Ronald Wilson Reagan)

【生年月日】1911年2月6日

【死去】2004年6月5日(93歳)

【任期】
1981年1月20日~1989年1月20日(8年)

2022年10月12日にTBS系列「ワールド極限ミステリー」でレーガン大統領の銃撃事件について放送されていました。

アナウンサーや俳優など異色の経歴を持つ大統領です。

レーガンは、大統領としてどんな功績をあげたのでしょうか。

レーガノミクス

レーガン大統領は、過去に行ってきた「需要中心」から「供給中心」を目的とした経済政策『レーガノミクス』を掲げました。

【レーガノミクス】
●軍事支出の拡大
●減税・規制緩和で投資を促進
●インフレーション率を低下

軍事費用を増やすことで政府支出を増大させ、減税や規制緩和により供給を刺激、インフレを抑制することで「強いアメリカ」を復活させようとしていました。

積極的な経済政策は、アメリカが抱えていた財政赤字の減少は見られず、貿易赤字と財政赤字の「双子の赤字」という結果になってしまいました。

それでも、経済回復が見られた部分があったのと、1990年代のアメリカ経済成長の基礎になったことから、レーガノミクスは評価される政策となりました。

薬物・人種差別問題の取り組み

レーガン大統領は、アメリカ国内の問題であった薬物や人種差別に対しても政策を行っていました。

麻薬犯罪者の投獄を推し進める政策「麻薬との戦争」や、戦後に強制収容されていた日系人に対し謝罪と損害賠償金を支払うなどの対策を取っています。

●「麻薬との戦争」政策
●強制収容された日系人に謝罪・賠償金の支払い

そして、レーガン大統領は黒人牧師「マーティン・ルーサー・キング・ジュニア」の誕生日を国の祝日として定めました。

外交政策

レーガン大統領の就任当時、ソ連の軍事力はとても大きくなっていた為、ソ連を「悪の帝国」と厳しく非難していました。

そして、レーガン大統領はソ連との外交政策として次の事を行ったのです。

・SDI(戦略防衛構想)として国防費を増額
・大規模軍事演習でソ連に脅威を与える
・ソ連の国民に西側諸国の幸せな暮らしぶりを伝える

レーガン大統領の戦略はとても効果的で、ソ連はこれに対抗しようと軍事費用が膨大なものになってしまいました。

1985年になると、ゴルバチョフが書記長に就任し「グラスノスチ(情報公開)」によってソ連の財政が壊滅的状況にあることが明らかになりました。

1987年、レーガン大統領はソ連と「中距離核戦力全廃条約」を結びます。

レーガン大統領はソ連との外交政策により、後の冷戦終結やソ連崩壊を導くことができたと高く評価されています。

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レーガン大統領の名言やジョーク

レーガン大統領は数々の名言やジョークなどを残しているそうですよ。

いくつか紹介していきたいと思います。

レーガン大統領の名言集

レーガン大統領の名言をご紹介します。

”Don’t be afraid to see what you see.”

「事実から目をそむけるな」

”There are no great limits to growth
because there are no limits of human intelligence, imagination, and wonder.”


「人間の知性、想像力、そして不思議さに限界がないため、 成長に制限はない。」

”Life is a fight with myself. There is nothing else.”

「人生はおのれとの闘い。他には何もない」

”Humor ist, wenn man trotzdem lacht.”

「ユーモアとは、にもかかわらず笑うこと」

”I know in my heart that man is good, that what is right will always eventually triumph, and there is purpose and worth to each and every life.”

「私は心から信じている。
人間は善であり、正義はいずれ必ずや勝利を収める。
そして、すべての人生に目的と価値があることを。」

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レーガン大統領のジョーク集

レーガン大統領のジョークはこちらです。

”I hope you all are Republicans.”

「あなた方がみんな共和党員だといいんだがねぇ。」

1981年の銃撃事件で重傷を負っているレーガン大統領が、搬送先の医師たちに言った言葉です。

医師たちは「われわれはみんな共和党員です!」と答えましたが、実際は違っていたそうです!

”Honey, I forgot to duck.”

「ハニー、(銃弾を)避けるのを忘れちゃったよ」

こちらも銃撃事件の際に、病院に駆けつけてきた奥様に対して言ったジョークです。

重傷にも関わらず、笑顔で奥様にジョークを言えるのがすごいですよね!

”I have all the qualities as President of
the United States of America.
Firstly outstanding memory power.
Secondly … Well, what else was it?”


「私はアメリカ大統領としての資質をすべて備えている。
第一に抜群の記憶力。
第二に・・・えーっと、何だったかな?」

大統領としての資質がひとつしかないんかい!!っと突っ込みたくなるようなジョークですよね(笑)

また、YouTube動画にもレーガン大統領が笑いを誘っているシーンがありましたよ。

レーガン大統領はユーモアセンスのあふれるお人柄だったので、多くの国民に親しまれていたそうです(^^♪

レーガン大統領の死因

レーガン大統領は1981年から1989年の8年間、大統領としてアメリカを支えました

政界を引退して4年後にアルツハイマー病を発症したそうです。

アルツハイマー病を患ってから10年近くの闘病生活があり、2004年6月5日に肺炎を併発し亡くなりました。

93歳でした。

<<レーガン大統領の死因>>
アルツハイマー病に肺炎を併発したこと

レーガン大統領の死は世界中に伝えられ注目を集めていたと言います。

アメリカ国民に愛されていたレーガン大統領の国葬が執り行われ、アメリカ大統領経験者としての国葬は31年ぶりだったそうですよ。

まとめ

レーガン大統領が挙げた功績や亡くなった理由、名言やジョークについてまとめました。

ロナルド・レーガンは異色の経歴を持った第40代アメリカ大統領で、1981年~1989年の間、大統領として様々な功績をあげました。

経済政策「レーガノミクス」や、ソ連との冷戦終結に導いたりとレーガン大統領が行った政策は多くの人に高く評価されています。

また、レーガン大統領はいくつもの名言を残し、時にはジョークで人々を笑いに誘いました。

レーガン大統領は任期を全うした後、アルツハイマー病を発症しました。

そして10年近くの闘病の末、肺炎を併発して2004年6月5日に亡くなりました。

レーガン大統領があげた功績もありますが、親しみやすい性格も多くのアメリカ国民に支持されていたのではないでしょうか。

最後までご覧くださってありがとうございました。

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